こんにちは。ヘル太郎です。
前回記事「セミリタイヤについて考えた(その2)」でコメントを頂きました。
ヽ(〃^▽^〃)ノ♪あざまーす♪
ですが、できないことを”NO”と言う勇気も必要だと思いました。(言わないことも必要なときもあるのかもしれません)
その場から逃げてしまうことも必要かなと思います。(あとのことを考えると1歩踏み出すのは勇気がいりそうです。。。)
No と言うのに勇気なんて全然要りません。
あえて言うなら勇気ではなく周りの空気を無視することですが。
まあ日本人として育ってきたので「その空気を無視しづらいんじゃい!」って思われるかもしれません。
そこで管理人が経験したことを書いてみます。
ご参考になれば幸いです。
〆( ̄  ̄*) カキカキ
No と言いまくった結果
結論から言います。
嫌です、
やりません、
うち(僕)の仕事じゃありませんを連発した結果
特に問題なかった。
もちろん取引相手や上司からの評判は悪くなった。
まず社内評価ダダ下がり。
盛大に反抗した年の人事考課は低評価喰らった(10近年く在籍して初。高評価(A)しかとったことなかった)。
社長からは露骨に無視(こっちも気にくわないと思ってたので痛くも痒くもない)。
同僚からも「あいつはすぐに文句言う」とかそんなイメージが固まった(自分としては文句ではなく(管理人が思う)”あるべき姿”を言い続けただけ)。
でもそれだけ。
別に給料下がったわけじゃないし
ボーナス悪かったわけでもないし
嫌がらせ受けたけわけでもないし
僻地に飛ばされることもなかった。
出向先の課長、部長、自社の部長、発注元の課長、担当者などなど(時には顧客にも)、No を連発したけど問題らしい問題はなかった。
まあ向こうは問題だって思ってたかもしんないけどそんなことは知ったことではない。
頼んだ側は頼まれた側のことなんて気にしない
15年くらいの社会人生活で7,8社の職場経験してきましたが仕事は ”できるやつ” に集中します。
この ”できるやつ” の定義には幾つかあるけどスキルはあまり問題にならない(低すぎてそもそも仕事振れないレベルじゃなければ)。
管理人が思う ”できるやつ” ってのは、
時間をかければこなせるだろうレベルの持ち主でNoと言わない人間
なんだと思う。
さらに責任感あれば(頼む側にとっては)もうサイコー。
”よろしく”って言えば後は勝手に作業が進んで面倒な仕事が一丁上がり。
これも断言できるけど
頼んだ側は頼まれた側の状況を気にすることなんてほとんどない
忙しいかな?
無理してないかな?
身体壊してないかな?
まず気にしませんから
(ヾノ・∀・`)ナイナイ
こっちはこんだけ仕事抱えてんだよ、きついんだよ、察しろよ!
とか思っても察しません。
頼まれた側がどれだけ残業しようが休日出勤しようが頼んだ側は気にしない。
過労死ライン越えようがうつ病になろうが見てみぬふり。
そんなことは嫌というほど見てきたし経験もしてきた。
関連記事はこちらをどぞー。
SIer 体験記その1: 5ヵ月連続過労死ライン超え
40代転職日記その12~終わらないなら年始年末出てやってね
40代転職日記その13~担当の命より目先の作業が大事ですか?
馬鹿だった自分
今思うとF社出向時代の自分は本当に馬鹿だった。
出向する以上は ”F社の利益のために働く” とか本気で思ってた。
だから自社とF社の利益が相反したときはF社側に立って自社側にかなりきついこと言った。
別に無理くりF社側の利益になるようにしたわけじゃなくて自社がいい加減な仕事してF社、引いては顧客の不利益になりそうなことは絶対に看過しなかった。
自社の仕事がいい加減過ぎてF社の部長に「あそこの会社はダメだから発注取り消そう」とまで言った。
出向から戻って自分の評価がどうなるとかそんなことはどうでもよかった。発注先が自社だろうがなんだろうがいい加減な仕事するとこには頼まない。
顧客に迷惑かけたらF社の不利益なる
そんなこと本気で思ってた。
だからF社が顧客システムのクラウド化案件を受注したときは全力でやった。
いいものを作れば現場の人達に喜んでもらえるし逆にいい加減なもの作ったら使う人が不幸せになる。
だからいいシステムを作るために一生懸命頑張った。
たとえ上司や顧客と意見が対立しようが生意気と思われようが ”いいシステム” を作るためにやるべきことはやるべき、ダメなもはダメと頑と主張した。
終電近くで帰ることもザラだったし休日出勤も平気でやった。
残業時間は5ヵ月連続で過労死ラインを超えた。
で結果どうなったか?
腰痛が再発して眠れなくなって睡眠薬飲むようになって口を開けたらアゴがバキバキなって痛みが出るようになった。
命の危険を感じて自社に戻ったらバッチリ低評価喰らった。
役職も後輩に追い抜かれてた。
出世に興味はなかったけど自分の健康と時間を犠牲して頑張った結果がこれかと思ったら泣けてきた。
自分のやりたいことやる
自分のやってきた事に後悔はないけどもし当時に戻れるなら。
目を覚ませとブン殴る
No と言わなかった結果が上記です。
こっちは身体ボロボロになって家族とか趣味の時間(それこそ婚活の時間だ畜生!)とか無駄にして、まあ得たものといえば残業代ぐらい(それだってF社正社員と比べれば安い給料でコキ使われてる)。
で頼んだほうは今でものほほんとしてパフェでも食ってるんじゃないですかね。
それでも遅まきながら途中で気づいて出向期間が満了する前に自社に戻ったし(責任問題にするぞとF社部長を脅した。逆にそれくらいしないと戻れなかったしそういうことには反応するカス人だった)。
会社に見切りをつけて辞める踏ん切りもつけることも出来た。
No と言うか言わないか本人次第ですけどね。
それが本当に自分のやりたいことなのか、それやって幸せなのか、逆にやることでどんどんストレス溜め込んでないかとか。
そんなことを一度じっくり考えてみたらどうでしょうか。
自分には当時経験した事と感じたことしか言えないけど。
この記事が同じように悩んでたりきつい思いをしてる人の参考になればとても嬉しいです。
なお、
Noを連発=やりたい放題やる
ではないです。
別の現場で「それは僕のやるべき仕事じゃない」を連発してリーダーや上司の作業指示を無視しまくったやつがいたらしく(何を勘違いしてたのやら)。
そんなのはただの大迷惑はクソ野郎です(給料泥棒ともいう)。
管理人が思うにクソ野郎かどうかの違いは
周りの同僚(特に自社以外の協力会社)からの評価です。
その人がちゃんと仕事してるかどうかの基準は一緒に仕事している周りの同僚が評価してくれるかどうか。
特に自社以外の人間、協力会社とか直接取引関係のない同プロジェクトに参加してる別会社の人の評価が判断基準になると思います。
そういう人達に「あの人とは一緒に仕事したくない」とか思われてたらダメじゃないしょうか。
私はヘル太郎さんと短い期間でしたが一緒にお仕事をさせていただいて本当に良かったと思っています。
ありがとうござます!そう言ってもらえると本当に励みになります(*⌒▽⌒*)!